句集
昭和34年5月1日刊 俳句評論社
球体感覚
昭和46年8月16日刊 冥草社 限定350部(特装33部)
昭和37年9月20日刊 中村書店
えくとぷらすま
昭和49年 西澤書店より再刊(特装50部)
昭和41年9月30日 昭森社
形而情學
初版
昭和42年7月20日新装再刊
再版(箱)
特限定12部 加藤郁乎『形而情學』昭和41年総革装夫婦函 昭森社
昭和42年7月12日刊 戦後俳句の会
加藤郁乎句集 戦後俳句作家シリーズ20(第6回配本)
昭和45年10月15日刊 仮面社 限定800部
牧歌メロン
昭和46年冥草舎発行 (限定100部)
牧歌メロン歌留多
牧歌メロン歌留多は日本の伝統遊芸品である小倉百人一首、花札、株札の遊戯性を現代に生かすべく、日本の伝統工芸に生きる職人の協力を得て絵札百点の銅版手彩色版画並びに百枚の字札として永い構想と制作を経た後うまれた。絵札一枚一枚を左右十枚、上下十枚の様式にて百枚揃えた時、絵札各く一点のもつ幽暗さに呼応するが如く艶麗なマリリン・モンローの聖なる一大パネル画が現出する。銅版画の手彩色は、日本の発禁史上にも名高い「秘戯指南」の梅原北明にならい帝国ホテルにて仕上げた。札造りに京都・大石天狗堂、桐箱制作に元浅草の箱帳、布張り外函に秋葉原・妻恋坂の永井紙器、手透き和紙は日本橋・山田商会の協力を得た。牧歌メロンの秘めたる反響は制作中に朝日新聞が昭和46年7月6日号の社会面「芸術生活」で三ページにわたり紹介された。美術遊芸品「牧歌メロン歌留多」は装釘、田中一光のもとに瀧口修造、澁澤龍彦、池田満寿夫の助力を戴き誕生した。(販売時の冊子より抜粋) ●齋藤和雄手彩色銅版画札の一枚に鉛筆サイン有り。 ●加藤郁乎肉筆俳句一枚あり。
昭和49年11月10日 天眼社
出イクヤ記
特装30部
昭和49年秋 コーベブックス 限定380部
微句抄
昭和50年10月20日 人文書院 限定1000部
定本・加藤郁乎句集
昭和52年2月28日 コーベブックス 限定600部(特装50部)
佳氣颪
昭和55年5月5日 南柯書局 限定250部
句集 秋の暮
昭和58年7月1日発行 俳句研究7月号掲載
未完句集 『俳的的』抄
昭和63年 小沢 書店
句集 江戸櫻
平成3年 ふらんす堂
句集 粋座
平成6年 砂子屋書房
加藤郁乎句集−現代俳人文庫3
平成10年 ふらんす堂
初昔
平成12年10月10日 沖積舎 限定500部
加藤郁乎 俳句集成
平成18年 文學の森
句集 實
平成22年 角川学芸出版
晩節
平成25年年7月16日 書肆アルス
了見
詩集
昭和40年5月5日 思潮社
終末領
昭和44年12月30日 思潮社 限定500部(特装50部)
荒れるや
昭和46年8月20日 薔薇十字社 限定999部(特装71部)
ニルヴァギナ
特装71部本
昭和46年10月20日 思潮社
加藤郁乎詩集 - 現代詩文庫45
昭和49年9月20日 林檎屋(特装本若干)
姦吟集
昭和49年2月1日 思潮社
詩篇
昭和56年5月1日 思潮社
詩篇 U
昭和51年5月1日 立風書房(特装150部)
エジプト詩篇
特装150部本
平成11年
詩集 閑雲野鶴抄
平成15年 沖積舎
加藤郁乎詩集成
評論集
昭和39年6月25日 現代思潮社
眺望論
昭和45年11月15日 三一書房
遊牧空間
昭和47年8月15日 薔薇十字社
かれ発見せり
昭和51年4月30日 コーベブックス 限定1500部(特装50部)
後方見聞録
昭和51年4月30日限定、南柯書局発行、限定50部、記番、署名、A5判、函・外函付
平成13年 学研M文庫
昭和51年10月25日 南柯叢書 近代文学逍遙第三回配本 限定500部
夢一筋・あるいは夢の異文
昭和52年2月25日 コーベブックス
旗の台管見
昭和52年5月20日 人文書院
イクヤーノフの優雅な私生活
昭和53年4月28日 九藝出版
半風談
昭和54年10月20日 小沢書店
意気土産
平成8年 角川書店
日本は俳句の国か
平成18年 みすず書房
坐職の読むや
考証研究
昭和55年8月20日 小沢書店
江戸の風流人
昭和56年7月25日 潮出版社
俳諧志
昭和58年 平凡社
江戸俳諧歳時記
平成19年 平凡社ライブラリー全2巻
江戸俳諧歳時記(上)(下)
昭和60年 小沢書店
むらさき控え 新編江戸歳時記
昭和63年 小沢書店
古意新見 筆払 1
昭和63年 小沢書店
閑談前後 筆払 2
平成5年 読売新聞社
近世滑稽俳句大全(編著)
平成14年
江戸俳諧にしひがし(飯島耕一との共著)
平成16年 岩波書店
市井風流 俳林随筆
小説
昭和48年1月29日 薔薇十字社
エトセトラ
昭和50年11月30日 大和書房
膣内楽
加藤 郁乎(かとう いくや、1929年1月3日 - )は、詩人、俳人、俳諧評論家。
俳人加藤紫舟の子として東京に生まれる。号は四雨。1951年、早稲田大学文学部演劇科卒。初め詩人として出発し、『黎明』に新芸術俳句を発表、『俳句評論』同人。私生活では商事会社を経営し、また日本テレビに勤務するなど二束の草鞋を履き、1972年に文筆家として独立。澁澤龍彦など異端的文学者との交友でも知られ、澁澤が『血と薔薇』の編集長を務めていた時期には、同誌の販売促進のため澁澤を『11PM』に出演させたこともある。