一千一秒物語
鼻眼鏡
星を賣る店
第三半球物語
天体嗜好症
山風蠱
飛行機物語-空の日本
天体日本-星の學者
彌勒
宇宙論入門
明石
ヰタ・マキニカリス
惡魔ノ魅力
彼等(THEY)
少年愛の美学
僕のユリーカ
東京遁走曲
ヴァニラとマニラ
ヒコーキ野郎たち
一千一秒物語(文庫版)
ライト兄弟に始まる
絵本・逆流のエロス
機械学宣言-地を匍う飛行機と飛行する蒸気機関車
稲垣足穂作品集-Works of Taruho
タルホ=コスモロジー
鉛の銃弾
パテェの赤い雄鶏を求めて
菫色のANUS
青い箱と紅い骸骨
ミシンと蝙蝠傘
天族ただいま話し中
タルホ座流星群
Ικαρος(イカルス)
終末期の密教
コリントン卿登場
おくれわらび
男性における道徳
タルホフラグメント
人間人形時代
タルホ・クラシックス
がんじす河のまさごよりあまたおわする仏たち
男色大鑑
美しき学校
イナガキタルホ詩集(豆本)
稲垣足穂全詩集
稲垣足穂作品集
タルホと多留保
緑の蔭
東京きらきら日記-タルホ都市紀行
生活に夢を持っていない人々のための童話
月球儀少年-極美についての一考察
稲垣足穂詩集(思潮社文庫版)
タルホ神戸年代記
飛行機物語(第三文明社版)
稲生家=化物コンクール
びっくりしたお父さん
星の都
タルホ大阪・明石年代記
花月幻想
足穂映画論
足穂拾遺物語
稲垣足穂全集(書肆ユリイカ版)
稲垣足穂大全
タルホスコープ
多留保集
BIBLIA
TARUHOLOGIA(河出文庫)
稲垣足穂全集(筑摩書房版)
稲垣足穂コレクション(筑摩文庫版)
潮出版社選集4冊
稲垣 足穂(いながき たるほ[1]、1900年12月26日 - 1977年10月25日)は、日本の小説家。
大正時代から昭和時代にかけて、抽象志向と飛行願望・メカニズム愛好と不毛なエロティシズム・天体とオブジェ[2]などをモチーフにした数々の作品を発表。代表作は『一千一秒物語』、『少年愛の美学』など。
1900年、大阪市船場に歯科医の次男として生まれる。小学生の時、祖父母のいる明石に移住し、神戸で育つ。1914年関西学院普通部に入学。関西学院では今東光などと同級になる。小さいころから、映画や飛行機などに魅了され、その経験をその後の作品に昇華させる。在学時に同人誌『飛行画報』を創刊。
1916年、飛行家を目指し、発足したばかりの羽田の「日本飛行機学校」の第一期生に応募するが、近視のため不合格(ちなみに、この時の合格者に円谷英二がいる)となり断念。
1919年、関西学院卒業後、神戸で複葉機製作に携わり、後に再び上京。出版社に原稿を送った後、1921年、佐藤春夫に「一千一秒物語」の原型を送付、佐藤の知遇を得て、佐藤の弟の住まいに転居。また同年の第1回未来派美術展に『月の散文詩』を出品し入選している。1922年には、「チョコレット」「星を造る人」を『婦人公論』に発表。1923年に、『一千一秒物語』を金星堂より刊行。同年、関東大震災により西巣鴨に移る。
この前後、雑誌『文藝春秋』『新潮』『新青年』を中心に作品を発表、単行本も『星を売る店』(1926年)、『天体嗜好症』(1928年)と数冊ほど刊行され、新感覚派の一角とみなされる。「WC」は横光利一の絶賛を得る。『文芸時代』同人。このころには、自身と同じく同性愛研究家でもあった江戸川乱歩と出会う。
ところが、佐藤春夫が菊池寛の作品を褒めたことにより「文藝春秋のラッパ吹き」と佐藤を罵倒、寄宿していた佐藤春夫の家を飛び出し、文壇から遠ざかる。1930年、家郷の明石へ。1934年には父の死を受け、衣装店を経営するが、共同経営者の使い込みが発覚して、これを単独経営にするが、これも差し押えられ、その後は、家賃の未払などもあって、各所を転々とする。アルコール、ニコチン中毒により執筆も滞ったが、同時期伊藤整、石川淳と交友を結ぶ。文壇から離れた後は、主に同人誌で作品を発表しつづけたが、極貧の生活を送り、出版社からも距離を取られることになる。
1950年、篠原志代と結婚、京都に移る。それまでの著作の改稿を始め、『作家』に160編など精力的に作品を発表。佐藤没後の1968年、三島由紀夫(ちなみに三島は『小説家の休暇』において稲垣を「昭和文学のもっとも微妙な花のひとつ」と讃を送っている)の後押しで『少年愛の美学』で第1回日本文学大賞を受賞。1969年から『稲垣足穂大全』(全6巻)が刊行され、一種の「タルホ」ブームが起きる。
1977年10月25日、結腸癌で入院していた病院で急性肺炎を併発し、死去。享年76。
人間を口から肛門にいたるひとつの筒と見立てたエッセイ「A感覚とV感覚」を、独自の一元的エロス論として評価した澁澤龍彦をはじめ、種村季弘、松山俊太郎、加藤郁乎、高橋睦郎、松岡正剛、荒俣宏など多くの人から尊敬を集めた。すべての自作を処女作「一千一秒物語」の注釈であると宣言(「『一千一秒物語』の倫理」)し、この「一千一秒物語」をはじめ、主要な作品の殆どが何度も改稿されている。A感覚というものを軸に博引旁証と自己の原体験を紡いだ、足穂の集大成的エッセイ「少年愛の美学」は、単なる少年愛論にとどまらず、独特な精神的性愛論として高く評価されている。