小杉 武久(こすぎ たけひさ、1938年3月24日 - )は日本の作曲家、演奏家。
東京生まれ、東京藝術大学楽理科卒。 大学在学中の1960年、水野修孝らと日本で最初にフリーミュージックとイベントを行う「グループ・音楽」を結成。また、それとほぼ同時期に芸術集団フルクサスに参加。 1964年、武満徹、一柳慧とCollective musicを結成。マース・カニングハム舞踏団の第一回日本公演で、ジョン・ケージ、デビット・チュードアと共演。
1965年、渡米し、ニューヨーク・アヴァギャルド・フェスティヴァル等に参加。
1967年、ヨーロッパで、各地のフルクサス作家と接触。デュセルドルフ、アムステルダム、ベルリン、コペンハーゲン等でコンサート。
1969年、タージ・マハル旅行団(小杉武久、土屋幸雄、木村道弘、永井清治、長谷川時夫、林勤嗣)を結成。 ストックホルムの「ユートピア&ビジョン」、ロンドンの国際実験音楽祭「ICES’72」など国内、海外を問わず、幅広い演奏活動を行う。
1970年、日本万国博覧会でお祭り広場の音楽を制作。
1975年、美学校に小杉武久音楽教場を開設。生徒達による即興音楽集団 "イースト・バイオニック・シンフォニア"を監修。
1977年にアメリカに移住、マース・カニングハム舞踏団の音楽監督をジョン・ケージ、デビット・チュードアらと勤める。ヴァイオリン演奏家などとして活動する。この時期から、テクノロジーを使ったしなやかな表現が見られるようになる。
1978年、パリの"フェスティヴァル・ド・オートン" "ラ・サントボーム音楽祭"に参加。
1979年、"オランダ・フェスティヴァル"に参加。スチーヴ・レイシーらと共演。
1980年、"目と耳のために"展(パリ)、視聴覚展(ベルリン)等にサウンド・インスタレーション「五十四音点在」出品。
1981年、ドイツ学術交流会"DAAD"の招聘によりベルリンに滞在。
1982年、ハンブルク美術学校の客員教授。
1983年、ニュー・ミュージック・アメリカン・フェスティヴァルに参加。
1984年、プロ・ムジカ・ノーヴァ音楽祭(ブレーメン)でソロ・コンサート。
1986年、ロンドン・アルメイダ音楽祭に参加。東京国立劇場の「舞楽」公演でジョン・ケージ作曲の「RENGA=連歌」にパフォーマーとして参加。日本前衛美術の動向展(パリ・ポンピドゥー・センター)に作品を出品。パフォーマンスも行う。
2008年、横浜トリエンナーレ2008にアーティストとして参加。